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「最期の、ありがとう。」ティア
北本市

遺された人に寄り添い、悲しみをほぐす。葬儀のありかたの根本を見つめる。

担当者
松永 拓也
施行会館
ティア岩塚

深い悲しみの中にいるご遺族と寄り添う。

ちょうど今から1年ほど前のこと。入会希望で「ティア岩塚」を訪れたその女性は、悲しみがあふれているように見えました。それでも目に涙を浮かべながら懸命に、私の説明に従って、入会の手続きを行いました。私は「まもなくそのときが来るのかもしれない」と気になりながらも、具体的なことは聞けず、手続きを終わらせました。

それから数週間後、施行担当としてその女性と再会したとき、より一層深い悲しみをにじませながら、終始、涙を流していました。落ち着いたところを見計らって、葬儀についての要望をお聞きすると「私と夫(故人様)だけで、葬儀をしたい」とおっしゃいました。私は少し驚いて、その理由を伺いました。

2人は若い頃に出会い、長い年月を離れてそれぞれの人生を歩んでいましたが、再び出会って恋に落ちました。お互い再婚同士で、さまざまな困難を乗り越え、やっとの想いで結婚が叶ったばかり。マンション暮らしを経て、再来月に新居が完成するという矢先に夫の病気が発覚し、奥様は、妻としてわずか一ヶ月しかともに過ごすことができなかったということでした。だからこそ、最期の時間を2人だけで過ごしたいと強く願われていました。

2人にどんな苦労や困難があったのか、そのときにはまだ分かりませんでしたが、たった1人で深い悲しみの中にいるご遺族に寄り添おうと、私は心を決めました。

私にできることは、ただ、話を聞いて差し上げること。

仮通夜の日、2人での葬儀に式場は広すぎるので、和室に祭壇を設置し、自宅の部屋で過ごしているような空間を作りました。翌日からの通夜、葬儀のお打合せを終えると、奥様は泣きながら私におっしゃいました。

「2人で過ごしたいと言ったけど、一人になると涙が止まらなくて、良くないことばかり考えてしまいます。松永さん、話を聞いてくれませんか?」

たった2人の葬儀、準備することもそんなにたくさんはありません。「今、私がこの方にできることは、話を聞いて差し上げることだ」と、私は仮通夜から葬儀までできる限りの時間、奥様とともに過ごし、話をお聞きしました。

奥様は、自分の生まれた日のことから、故人様との出会いや馴れ初め、思い出を、これまでの人生を紐解くように順に語られました。幼いの頃のできごとは、子どものように無邪気に、10代のころの思い出は、少女のようにしとやかに。私はところどころ相槌を打ち、ときには「それでどうしたんですか?」などと質問を挟みながら、じっくりと話を聞きました。ふと奥様の顔を見ると、少し表情が明るくなっているような気がしました。

「奥様は、私を『葬儀を依頼している人』ではなく、『1人の人間』として心を開いてくれているのかもしれない」。

そう感じた私はひたすら、奥様の話を聞き続けました。

「私が生きていられるのも、あなたのおかげです」。

通夜、葬儀が終わり、最期のお別れの時が来ました。奥様は、故人様の懐に花を手向けながら「ずっと、ずっと大好きだったよ」と何度も話しかけていらっしゃいました。奥様と故人様の深い愛情と絆が、2人の間に見えるようでした。

火葬場から戻ると、奥様は虚無感でいっぱいの様子でした。それでも、自宅のマンションに中陰壇を飾りにお伺いすると、「長い時間、つきっきりで話を聞いてくれてありがとう。1年くらいかけて気持ちを整理しようって思っていたけど、2日間で整理がついたわ」と気を取り直すかのように、私に感謝を伝えてくださいました。

葬儀が終わってしばらくしてからも、奥様の「1人でいると良くないことばかり考えてしまう」という言葉が浮かんでくることもあり、ときおり連絡を取りました。ご自宅の近くに用事があったときにはお会いさせていただき、「夫とよく出かけた海に行ってきた」など、1週間にあったできごとをお聞きしたこともありました。やがて2人で住むはずだった新居ができ、奥様は引越しをされました。それ以来、たまに電話で話す程度で、いつしか連絡は途絶えていきました…。

それから1年後、私の手元に1枚のハガキが届きました。ティアの会報誌に私の写真が載っているのを見た奥様からのものでした。

「この写真の人は、私の主人を見送ってくださったおり、お世話になった人です。心から感謝しています。今、私が生きて日々を過ごしていられるのも、この人のおかげです」

担当者想い

担当者:松永 拓也

担当者想い

感動していただける葬儀を行うために、ご遺族に寄り添う。

ティアは単に儀式を行うだけの葬儀会社ではありません。ご遺族一人ひとりに寄り添い、感動をしていただける葬儀を創るのがプロの仕事だと思っています。今回は「話を聞いて差し上げる」ということが、私なりの寄り添い方でした。身内には話しにくいことも第三者には話せるということもあります。しかし、信頼していただけなければ、ここまで話していただけることはなかったと思います。