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「最期の、ありがとう。」ティア
稲城市

ご親族の絆が作る「後悔」のない葬儀に、私の想いも込めて。

担当者
森谷 司
施行会館
ティア大幸

故人様との思い出を、ご親族で和気あいあいと語る通夜の後。

ティアに入社してすぐのころに祖父を亡くし、その3年前に祖母を亡くしました。祖母を亡くした時は、孫として、自分の両親に従っていただけでした。祖父を亡くした時も、まだティアに勤めはじめたばかりで、葬儀のあり方が分からず、柩に近づくことさえためらっていました。しかし火葬が終わった後、ふと祖父がお酒好きだったこと、最期に祖父の手を握って「ありがとう」と伝えれば良かったと後悔が浮かんできました。その時の想いがあるからこそ、ご遺族の方々から故人様やご家族のことを出来る限り聞き出し、後悔のない葬儀ができるように心がけています。

故人様は長男である喪主様のお母様。通夜後は皆様でお食事をされ、ご親族の方々は皆、仲が良いことが目に見えて分かりました。お酒も入って終始和やかな雰囲気の中、私は喪主様に声をかけ、故人様についてお話を聞いていると、ご親族の方がお一人お二人と増え、「とりあえず森谷さんも座ったら」と席を開けていただきました。故人様は鰻が好きで、施設に入っても、近くの鰻屋で鰻を食べていたこと。喪主様が故人様から岩手の地酒『南部美人』をよく送ってもらっていたこと。晩年になるとたまに故人様もお酒をたしなんでいたこと。和気あいあいと故人様の話は尽きず、私はまるで親族になったような気持ちでお話を聞いていました。

故人様の好きだった、うな重と日本酒をお供えして、最期の時を笑顔で見送る。

葬儀当日、うな重と日本酒を用意しました。『南部美人』はありませんでしたが、同じ酒造元の『あさ開』を手に入れることができました。「『あさ開』しか用意できませんでしたが…」と喪主様とその奥様に手渡すと、奥様が「そういえば『あさ開』も家にありました。懐かしい…」と涙を浮かべられました。

葬儀は粛々と行われ、最期のお別れの時。私が柩に入れる花の準備をしていると、司会者が「故人様が書かれた本を忘れたようです」と知らせにやってきました。故人様は文才に長けた方で自分史を自費出版されていました。その本をうっかり荷物に入れたまま式場に来られ、喪主様がうろたえていらっしゃるのに司会者が気付き、「取ってきてください」と伝えたとの報告でした。通常から、私は司会者だけでなく接待担当の方とも、コミュニケーションや意思疎通を図り、アイコンタクトで伝えることができるほど連携が取れる関係を築くようにしています。これは、私一人でなく、みんなで葬儀を執り行いたいという私の強い想いからです。

無事に本を柩に収めた後、私はうな重を半紙に包み、喪主様に「こちらも一緒にお収めされますか?」と尋ねました。「いいんですか?」と驚かれた喪主様に、私は「もちろんです」と答え、うな重を喪主様に手渡しました。「最後に大好きな鰻が食べられてよかったね!」とご親族の方々も皆、笑顔で故人様に声をかけられていました。

故人様の想いを共有し、みんなで後悔のない葬儀を作る。

火葬場から戻り、皆様で精進落としの食事を召し上がり、始終温かい雰囲気で葬儀は終わりました。会館からお見送りをする際、「今回ほど胸を打たれた葬儀はありませんでした。本当にありがとうございました」と喪主様、奥様、ご親族の方々からお礼を言っていただけました。自分勝手な基準かもしれませんが、葬儀が終わってお見送りをする時、どれだけのご親族の皆様からお礼を言っていただけるかで、後悔のない葬儀ができたかどうかを確認し、今後の糧にしています。今回の葬儀は、故人様の想いを、喪主様や奥様、ご親族の方々と共有し、スタッフとも良好な関係を作りながら、後悔のない葬儀ができたなと感じています。

葬儀後には、故人の娘様から温かいお礼の手紙もいただいて、故人様やご親族の方々から優しさを受け取りました。私にとっても忘れられない葬儀となりました。

担当者想い

担当者:森谷 司

担当者想い

日常の何気ないあいさつが、お客様との良い関係を作り出す。

通夜葬儀が終わった後で、親族の方々に「またお越しください」とは言えません。だからこそ私は日々のあいさつを大切にしています。例えば、朝、会館の前を掃き掃除している時に、知っている方に会えば「おはようございます」とか「今日はいい天気ですね」と声をかけます。そんな何気ない日常のつながりが、お客様との良い関係を作り出すと思っています。